【#ホンネのDX】組織、地域、文化をつなぐHUBになりたい|内閣官房オープンデータ伝道師|山形巧哉さん(2)

#ホンネのDX 3回連続でお届けする内閣官房オープンデータ伝道師 山形巧哉さんとの対談。
1回目では、北海道森町で公務員としてキャリアをスタートさせたきっかけと、地域の活動を通じて変わっていった思いを語った山形さんでした。

今回は、そんな山形さんが携わってきた地域のデジタル化、パブリッククラウドの導入などの活動について、具体的な内容を伺います。

災害時に知るデジタルツールの強さ

菅原:前回、山形さんが北海道森町役場で公務員としてキャリアをスタートさせたいきさつについて伺いました。
ホンネのDXという番組なので、デジタル化などについて現場でやってきたことをお伺いしたいと思います。
森町の情報系の部署でのご活躍は有名なところですが、予定ではそこもいい意味でご卒業なさるということで、森町で取り組んできたことと併せて、なぜご卒業されようと思ったのかお伺いできたらと思います。

山形さん:実はうちの町自体もそこまでITITした町ではなかったのですが、大きく変化が起きたのが3.11、あの経験がすごく大きかったです。
うちの町も若干津波が来たりしましたので、海に近い小学校の様子を見に行ったり避難所開設をしましたが、情報担当者が避難所に行ってしまうと庁舎内で何かあったときに何も出来ないという経験をして、電話は止まっていてもスマートフォンで連絡が取れるというデジタルツールの強さ、音声だけではない多様なチャンネルで色々な連絡が取りあえる強さを味わいました。
やはりITのインフラを強化していかなければと色々考えていた中で、函館未来大学さんと知り合うことが出来まして、そこでクラウドや仮想化という技術の検証に入って行って、一気にクラウドの方にシフトしていったという経緯があります。

クラウドに出会ってから見たことも聞いたこともない技術で、当時まだOfficeと言っても普通にパソコンに入っているものだくらいの認識だったのが、クラウドになるってどういうことなんだろうとか、クラウドってそもそも何なんだろうと色々研究しながら、庁舎内のステイクホルダーに説明をしていって、なんとかクラウドを導入していったんです。
その動きが働き方改革のような感じで見られて、色々なところから引き合いなどをいただいていたのですが、そういうのをやってきても、どうもうちの町の中が発展したようには思えない。色々なツールを入れて便利にもなったし、素晴らしい環境にもなったなと自分でも思うし、周りの方々も慣れてくると便利だねと言って下さるようにはなったのですが、結果として何も変わらない。ツールをいくら導入して便利な使い方をしても、結果として今でいうDXというか、デジタルシフトというのは進まなかったなとずっと思っていて。
その後にGIGAスクールの担当になって、子供たちに端末を渡して色々やっている姿を見ていると、ものすごいスピードで子供たちや世間が進んでいくのに、役所というのはどうしても遅いというか、今の技術をわざわざデチューンして使うというか。
電子申請にしても実は昔から割とあったわけで、メールで申請を受けてそのまま電子で扱えばいいのに、なんで紙にするんだろうだとか、そういうことを変えていくためには自分の町だけではなくて地域全体でものを見ていかないとならないんだなと。
なおさら近年は総務省の地域情報化アドバイザーやIT室のオープンデータ伝道師などに任命していただいたおかげで、全国色々な所に行ってお話をする機会が増えて、そこで私が話をする分皆さんが悩みを教えて下さるんです。そうすると自分の町でもこういうことあるな、とか、こういうのは地域の特性があるんだな、と色々な知見が溜まることによって、ああこれはもう面で捉えないとダメだと、自分の町だけでIT化だとかDXデジタルシフト、デジタリゼーション、デジタライゼーション…色々な言葉があると思いますが、そんなのをやっているのではなく地域としてものを見ていかなければならないという思いが強くなってしまって、辞めてみようかということになりました。

菅原:今のお話を聞いて、辞める理由がすっと腑に落ちた気がします。
面で捉えるという考え方はあまり役人が持てない考え方なのではないでしょうか。奇しくも森町での取り組みの実績がすごく評価をされたということと、山形さんが元々持っているポテンシャルによって、色々な所にお話をしに行っている中で、視野、視座が一段上がるじゃないですか。そういうことが組み合わさってのことなのだろうと思いました。

HUB、言語の違いを翻訳する存在に

菅原:そういう風に飛び出して、やっていきたいことが何かあったのでしょうか?

山形さん:本当に見切り発車もいいところなのですが、ひとつやりたいなと思っているのは、HUBになりたい、ということです。
行政には行政の言語がありますし、地域の住民には地域の住民の言語もある、企業には企業の言語もあるし、北海道だとか広域自治体にはそこの考え、国は国、みんなが何となくちょっと差があるというか、温度差があるのは仕方がないことだと思うんです。その温度差をそのままにしてしまって会話をし続けるからちゃんとしたプロレスが出来ていないというか。もう少し、本当はこの人たちはこういう風に考えているんだけど少しだけ慮ってみようよ、とか、そういう潤滑油のような役割として地域を見ていきたいです。
全ての地域が同じようになる必要も全くないですが、少なからずデジタル化というのは絶対やっておかないとこれから先の方々が困るんですよ、ということをちゃんと伝えていかなければならないし、あなたたちだけじゃない、私たちの後には次の世代が必ずいるんだということをちゃんと言わなければならない。住民も企業も行政も国も広域自治体も、全てがそこに向かってちゃんと走っていくという概念を少なくとも北海道の中では伝えていく、そういうお手伝いや並走をしていけたらなと思っています。

菅原:今すごく大切な本質的なことを仰ったと思います。
言語が違うというのはまさにその通りで、一応形の上で日本語を話しているから同じ言語を話しているように感じていますが、特に役所の側の人たちが意識しなくてはならないのは、同じ日本語だけれど組織風土や文化が違う人たちが話している言葉というのはやはり外国語なんですよね。だからその翻訳ができるというか、そこを調整できる人がいなければいけないんだろうと思っていて、それが不在のままで頭のいい専門家だけを持って来てもその人の専門性が活きなかったりするわけで、これは不幸ですよね。そのHUBは必要です!

山形さん:地域の中で決定的に足りないと思うのは対話、会話だと思うんです。
行政の中にも当然そういう風に思っている人たちもいらっしゃいますが、それに蓋をしてしまっているとか、言わせない風土があるというのが今の問題点だと思っています。
日本の教育というのは画一化したもので、ベースアップと言いますかみんな最低限このくらいまでにはいましょうという風にやってしまったせいで、逆にここから伸びることを抑えられていたり、低いと無理やりにでも引き上げられてしまったり、フラット化されてしまったんですよね。
僕らの仕事の中でもそうで、みんながここまでは出来なきゃならないという風になってしまったせいで、逆に専門性が無くなったり、職員の持ち味を消してしまっている部分というのもたくさんあると思うんです。きちんとした対話をすることによってそういう職員の本質や得手不得手というものを見極めることも大事ですし、それは行政だけではなく地域にも目を向けなければならないのではないかと思っています。
行政って地域の人から何か言われたら嫌だという概念から、情報もクローズにすることがあるじゃないですか。

菅原:90何%のポジティブよりも、数%のネガティブなことを嫌うんですよね。そのために全部シャットダウンしてしまうところはあります。

山形さん:地方の議会も私自身は今変革の時期であると思っていまして、声の大きい特定のノイジーな方々の意見だけを引っ張ってきてしまいがちといいますか。議員さんたちにお願いに行く人たちも自分の思いがあって伝えに行ったり陳情などもあるのでしょうが、一般的に多数の方々の声というのはなかなか伝わらないところがあります。
特にそういう田舎町というか、小さくなればなるほど行政を批判すると仕事をしていると思ってしまいがちな方々も多いのではと思いますので、そうではなくてみんな町民の代表としてやっているのなら同じ方向を向いてちゃんと褒めあおう、駄目なところもちゃんと言い合おうという環境にしないといけないのではないかとすごく思っています。

僕が森町に住み続ける理由

菅原:話が変わりますが、今度職員をご卒業されても森町にはまだ住み続けるんでしょうか?

山形さん:そうですね。実はそこにはすごくこだわりがあって。
おかげさまでこういうところに呼んでいただいたり、全国からの引き合いといいますかお声がけをいただくのですが、僕はそれはあくまでも森町というブランドがあったおかげだと自分で分析しているんです。
仰っていただいた通り、本当に小さな町なのになんで?という意外性もきっとあったのだろうというのを冷静に考えていまして、僕はやはり森町にこだわってここにいないといけない気がします。自分自身のブランディングのこともありますが、せっかくここまで育ててくれたのに、恩返しするのはここからだろうと。
僕がフリーランスになって色々なところから人が来てくれたとしたら、そこで初めて森町のことを紹介できることだとか、そこにはこだわっておきたいなという思いが強いです。

菅原:僕がなぜそんなことをお伺いしたかというと、この20年間で時代は変ったんだなと思ったんです。
とりあえず辞めてみることが出来た理由には社会の前提条件が変わって、森町に居たって役場とそれ以外のことが出来るという自信があることと、前提の変化というのがあるのではと思うのですが。

山形さん:おっしゃる通りです。
今回のコロナである意味パラダイムシフトが起きたと思っていまして、かつ一気に世代交代が進んだと思ったんです。これまでオフラインが全てだと言っていた方々が、そうか俺たちの時代は終わったんだ、というのを認識したというのもすごく大きいと思いますし、僕らのようにオンラインの世代が、ここからはちゃんと僕たちがやってあげないとオフラインしか出来ない人たちも不幸になってしまう、という風にある意味責任感が生じたというのが大きいと思います。
そうなると、僕らが何となく想像した時代に来たんだから…東京はスペシャルで、僕はそこは揺るぎない事実だと思っていまして、スペシャルで素晴らしい場所、人も多いし色々なこともできる、色々な知見もたまる。だからこそ行くなら行ったらいいとは思うんです。でも行かなくたって何でも出来るよということも地域に見せていかないと。これは僕らの宿命というか使命なんじゃないかという感じもします。

菅原:確かにそうですよね。20年前と違って森町に居ながらでも価値を発揮できて、必要な時だけ東京や他のところに行くということも出来ます。
今まではオール・オア・ナッシングだったわけじゃないですか。行くか行かないかしかなかったのが、そのハイブリッドが出来るようになったというところがオンラインの大きさなのかなというのは感じます。
話が尽きないので、これはまた僕がお伺いしたときに、山中デジタルでお話出来たらと思います。

山形さん:是非是非。

次回は次回は山形さんが考える幸せについて

山形巧哉さんとの対談は次回が最終です。
次回は、山形さんが考える幸せとは何か、またそれにおけるデジタルの役割について、互いの考察を述べていきます。

内閣官房 情報通信技術(IT)総合戦略室
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ハウモリ
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モリラボ
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