#ホンネのDX 今回は磐梯町官民共創・複業・テレワーク審議会副会長 小澤綾子さんとの対談です。
小澤さんは福島県磐梯町で車いすを使って生活をしながら官民共創・複業・テレワーク審議会の副会長を務めている方で、大手IT企業の社員でもあります。
また、難病を抱える当事者として雑誌からテレビまでさまざまなメディアを通じて活動を発信し、歌手や作家としても作品を発表するという一面も持っています。
そんな小澤さんに、今の活動に至った経緯や、発信することで叶えたい未来についてホンネを伺いました。
日本初の公的な完全オンライン審議会
菅原:さっそく私のほうから3点ほど他己紹介をさせていただきます。まず1点目、小澤さんは筋ジストロフィーという難病をお持ちで、今は車いすを使いながら日常生活をなさっています。大手のIT企業で人事のお仕事をされている会社員です。2点目は自治体との関わりで、福島県磐梯町で磐梯町官民共創・複業・テレワーク審議会という、日本で初めて完全オンラインで行われている審議会の副会長でいらっしゃいます。このふたつを合わせてさらにその先がある方はなかなかいないと思うんですけれども、さらにはなんと歌手であり、作家であるんですね。
小澤副会長:はい。
菅原:歌手としては、2019年3月10日に初のオリジナルCDを発売。『希望の虹』という曲を含めて4曲を収録したCDを出されるなど、精力的に活動されています。今年も完全オンラインのコンサートを開催されて、私も拝見いたしました。また、初の著書『10年前の君へ―筋ジストロフィーと生きる』が、なんとAmazonのカテゴリーランキング1位だったんですね。まさに会社員から公(おおやけ)の顔、文化芸術まで、いろんな顔をもっている小澤さんです。
小澤副会長:完璧なプロフィール紹介をしていただきましてありがとうございます。今日はよろしくお願いいたします。
どんな違いがあってももっと自分らしく
菅原:小澤さんは、僕が初めてお会いしたときに、「Beyond the Girls」という車いすの歌い手さんのユニットをやっていらしたんですよね。今も、雑誌からテレビまでさまざまなメディアで発信をされてきています。社会に対していろいろな思いをもって活動されていると思うんですけれども、小澤さんが実現していきたい社会、こうであったらいいなという社会はどのようなものですか。
小澤副会長:もっとどんな人も、障がいがあっても病気があっても、どんな違いがあっても、自分らしく生きるという選択肢がたくさんある社会を作っていきたいなと思っています。
私自身、昔は健常者でした。10歳のときにどんどん体が動かなくなって、いろいろな病院に行ったんですけれども原因がわからなくて、病気が判明したのが20歳の頃でした。私がそれまでは聞いたこともなかった筋ジストロフィーという進行性の難病で、医師からは「薬もありません」と言われました。今でも年々病気は進行していて、菅原さんに初めてお会いしたときは杖をついて歩いていましたが、3年前から車いすに乗って生活しています。
世間からいうと私は今、難病者であり、障がい者というカテゴリーですが、自分自身は何も変わっていないと思っているんです。ほかの人から見たら違うカテゴリーに入ってしまったけれど、自分は何も変わっていない。このギャップに苦しんでいるんですね。私は私のままなのにどうしてこんなに不当な扱いを社会から受けなくてはいけないんだろうとか、やりたいことも選択肢が狭まってしまって。活動を始めてから8年くらいたちますが、はじめはいろいろな人に自分の声を聞いてもらおうと、歌と講演で全国をまわりました。車いすになってからは、車いす3人組の「Beyond the Girls」というユニットを作って、今は本当にたくさんの方にご参加いただいているバンドになりました。そんな活動を通じて、世の中にはいろいろな人がいるよね、ということを発信しています。
私のビジョンは、どんな人も、どんな違いがあっても、もっともっと自分らしく生きられることです。そういう社会を実現するために、何でもやっています。
デジタル技術で障がい者というカテゴリーを抜ける
菅原:病気や難病などは誰しもかかる可能性があるし、生活に不都合が生じることもあると思いますが、たしかにその人の内面や存在自体が変わるわけではないんですよね。でも、数が少ないし経験したことがないから、わからない。
一生懸命発信をするという活動をしている人って、同じような環境にいる人に気づきを与えてくれているのだと思います。
小澤副会長:ありがとうございます。本当に、菅原さんはお仕事柄たくさんの、障がいをもたれた方やマイノリティと呼ばれる方々ともお付き合いがあるかなと思うんですけれども、昔の私も含めてですが、世間一般では、障がい者というのはやはり特別な存在だと思ってしまって、どう接したらいいかもわからないし、自分とは違うという線引きをついついしてしまいがちなんだと思います。ですから、障がいをもつ方や、いろいろな違いを持った方々が職場にも街にも、レストランにも映画館にも、世の中のどこにでもあたり前のようにいるという、そんな風景を見たいなと思っています。
菅原:障がいを生活に何らかの不都合が出る状態と広く解釈すれば、私なども目がすごく悪いので眼鏡がなかったら歩けないんですよ。だから、寝ているときに地震が起こって逃げようとして眼鏡を踏んでしまったら、避難所では要支援者になると思います。ただ、目が悪い人の場合は眼鏡やコンタクトレンズというツールが一般的だから、何も感じないですよね。眼鏡をかけている人は世の中にあふれているし、コンタクトレンズをつけていたら目が悪いかどうかもわからないじゃないですか。
小澤副会長:そうなんですよね。まさに菅原さんがおっしゃるとおり、眼鏡が開発されるまでは、目が悪い人は障がい者のカテゴリーにいてもおかしくない存在だったんですね。私の未来への期待ですけれども、私自身、今は車いすですけれど、テクノロジーなどの新しい何かで障がい者というカテゴリーを抜ける日がくるんじゃないかと思っています。そう考えると障がいのあるなしは紙一重というか、何も違いがなくなってきますよね。
次回はリモートワークを通じた社会参画について
小澤綾子さんとの対談は次回に続きます。
次回は、小澤さんのリモートワークを通じた社会参画の取り組みについて、具体的な内容や目指す姿を伺います。